プロフィール
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hiro
パワーストーンヒーラー
パワーストーンサイキックリーダー
セラピスト:hiro
プロフィール概略
三姉妹の次女、母の実家北海道小樽で生まれ埼玉で育つ。
幼少期から、父による母に対するDVがある家庭環境。
子供の頃、活発だったが次第に人前で表現できなくなり、心と身体を弱めていく。
学校生活も疲れていた。多くの人の中にいると宙に浮いている感覚。
今思えば、エンパス。この言葉が当てはまると思う。
いつしか、自分の思いに蓋をして、奮い立たせて生きていた。
少しでもポジティブに前に進める道を選んできた。
新卒で就職するも、向いていないデスクワーク、1年7か月で退社。
その後、家庭崩壊。
一人暮らしをしながら美術学校に通い、アルバイト生活。
新宿駅南口を歩いている時、「アロマテラピー」というメッセージを受け取る。
その後、ハーブショップで働き、アロマの学校に通う。
ハーブショップで働きながら、着物、太極拳、茶道、アンティークと趣味に夢中になる。
そして、上海出身の夫と出会い、退職、結婚。
2児の男の子を出産。
夫は出張が多く、私は男兄弟もいなかった為、子育てに葛藤する。
仕事人間で、文化の違いや年の差もあり、夫と不仲に。やがて、家庭内別居へ。
離婚を考え仕事を始める。結婚前やりたかったリフレクソロジーやボディセラピストの道へ。
父の持病を考え、介護の勉強をして、ヘルパーの仕事も始める。
仕事、家庭、子育て、忙しい日々。
そんな中でも、ずっと続けていた太極拳は自分に戻れる大切な時間だった。
2019年父が他界。自分を取り巻くエネルギーが変わった。
このままではいられない。
エネルギーから変えることの大切さを知る。
ライフコーチングやクリスタルの資格を取得。
そして、The Rock Girl® パワーストーンヒーリングに出会う。
この講座には私が知りたかったことが沢山あった。
そして、まったく興味がなかったもう一つの講座、パワーストーンサイキックリーディングも受けることに。
パワフルにエネルギーが動いているのを実感した。
雇われてなんぼと思っていた私が、まさかの起業。
人生が180度変わった。そして、今一番の応援者は夫である。
エネルギーから変わり、氷が溶け、ミラクルが起き始めている。
幼少期から学生時代
東京都出身の父と北海道出身の母の3姉妹の次女として、母の実家北海道小樽で生まれ埼玉で育つ。
幼少期から父による母に対するDVの記憶があり、幼い私から笑顔が消える。
昭和の家庭で父という存在は亭主関白で横柄な風潮なのかもしれない、しかし、日々繰り返された母に対する暴言や暴力は終わることはなかった。そして、私の心も身体も弱めていくことに。
お転婆で活発だった私は次第に風邪や貧血の様な症状が多くなっていく。
そして、人前で自分を表現できなくなっていった。
怒る先生、横柄な男性、男子、威圧的な大人、大声で怒鳴る人、苦手だった。
小学2年生の時、父の母に対する罵声や暴力が終わるまで寝ることができなかった。
母が無事であることが分かるまで。
そして、学校の授業に集中できなくなっていく。
高学年の時、5、6時間目なると顔面神経痛のようになり、表情が作れなくなっていた。
学校でも居場所がなく、家庭も休まる場所ではなく、友達にも家庭のことは言えない。
自分の中に生きるしかなかった。
小学校1年の時に父方の叔母に鎌倉に連れて行ってもらい、その時買った、長谷観音の小さな仏像を拝むことが日課となる。
自分のお財布の中に5円玉があれば、それを仏像の前に置き、
「世界中の人々が、平和で幸せになりますように」と毎日祈っていた。
また、叔母からもらったアクセサリーを寝るときに身に着け、自分のお気に入りのぬいぐるみを傍に置いた。
自分を守ってくれると信じていた。
父のDVは病的で、病気が出ない時は穏やかで優しかった。
幼い時から庭に鶏やウサギを飼い、よく動物園にも連れて行ってくれた。
子供の私にとって動物は癒しであり、安らぎだった。
そして、父にとっても同じだったと思う。
中学生になると、頭痛、肩こりが慢性的になる。
部活がバレーボールなのになんでだろうねと言われた。
高校という新しい環境に変わり、自分の中でも少し変化があった。
「死ぬなら何でもできる」心の中でいつも自分が言っていた。
二者選択しなければ何もできなかった。自分を前進させるために呪文のように唱えていた。
勉強には身が入らず、バンド活動とバイト生活の三年間だった。それでも私は心から周りと馴染めることはなかった。
進路は途中まで4年制大学と思い予備校に通っていたが、専門学校に変更。
ビジネス系専門学校の編集広報課を専攻。
机に向かってじっとしていられないのに何故かこの専門分野に。
就職そして、家を出る
時代はバブル景気だった。
小さな広告代理店の制作部に就職した。
地道な作業だった。片道1時間半の満員電車、そして、長時間のデスクワーク。昼食後は睡魔との闘い、足はムクミ、膝も痛み出した。
限界を感じ、1年と7か月で退社。
そして、家庭崩壊。
私は退職後、美術系の学校に通いながらアルバイト生活で生計をたてた。
質素ながら楽しかった。しかし、漠然として、貪欲なエネルギーがなかった。
その時、不思議なことがあった。
新宿南口を歩いている時「 アロマテラピー 」という言葉を受け取った。
「アロマテラピー」って何?直ぐに本屋さんに行き調べた。そして、アロマテラピーに使うエッセンシャルオイルを取り寄せて使ってみた。
当時、お店が少なかったが、行けるところはいろいろ回り、いつしか、この仕事に就きたいと思い始めていた。
本に載っているお店に片っ端から電話をして、新宿某デパート、ハーブショップの契約社員として採用が決まった。
そして、アロマテラピーのブームが訪れる。私が26歳の頃だった。
当時のphoto(マギーティスランドさんと)
ハーブや、健康志向の考え方(東洋医学やホリスティックセラピーなど)を生活に取り入れることが自分自身に合っていた。
念願かなって、アロマテラピースクールで勉強することができた。
そこではアロマの知識はもちろん東洋医学、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、解剖生理学、花療法、香りの成分化学、など幅広く学ぶことができた。
最終的に応用科まで進んだが、化学組成成分の勉強は難しく、日本におけるアロマテラピーの位置づけに疑問を抱き始める。
その頃、趣味の世界を楽しむ時間が増えていく。
職場の福利厚生を利用して、仕事が終わった後、太極拳を始め、別の売り場の方に誘われて、裏千家茶道も始める。
自分のルーツを考えはじめ、中華思想をオープンカレッジで学び、国際交流に参加する。
そして、着付け師の叔母に着物を習い始める。
古布鑑賞会に参加し、物を通して、文化を学ぶ。
アジアのアンティークに夢中、そして、夫と出会う。29歳寿退職。
結婚、2人の息子、そして介護
上海出身の夫と結婚し、2歳違いで2人の息子を出産。
子育ては楽しくも大変だった。
夫は出張が多く、仕事人間だった。次第にすれ違いが生まれてきた。
文化の違いもあり、日本は親が子供を育てるというのが主流。しかし、中国は祖父母に子供を預けて、親は仕事することが当たり前。
11歳年上の年齢差も大きく、話が親世代。考え方もまるで正反対。
すれ違いは次第に大きくなり、溝が深まるばかりだった。
そして、家庭内別居へ。
離婚を考え、仕事を始める。着付け師、コンビニバイト、そして、結婚前にやりたかったリフレクソロジーやボディケアのセラピスト。
父のことを考え、ヘルパー2級を取得し、介護の仕事に。
仕事、子育て、家事に追われ、振り返ることができない日々。
子供は次第に思春期で話さなくなった。
そんな中でも、自分に戻れる時間があった。公園へ行き、太極拳の練習をする時間だった。
父は次第に持病が悪化し始める。
父の通院や手術に付き添うのは容易ではなかった。病院側とトラブルになることが多かった。
そして、次第に父の住む家はゴミ屋敷のようになっていった。
たまに父の家を片付けるものの、一度にごみを捨てに行けるのはレンタカーを借りて、一日3往復が限界だった。
次に行くとまた元通り。ひざ下までゴミがある。
父は何もかもネガティブで会うたび疲れ果ててしまった。
往復4~5時間かかり、たまの掃除も次第に遠のいていった。
私も含め姉妹はトラウマになっていた。父のいる実家に行くと、子供の頃の嫌な経験が思い出されてしまう。妹は慢性的な強い偏頭痛があった。
姉は母子家庭で、仕事が忙しく、自律神経が不安定だった。母はもちろん行けばDVが待っている。
いつまで続くのか途方に暮れた。
父の他界
父は11月80歳の誕生日を迎え、この日に救急車で運ばれ入院した。
肺に水が溜まっていた。腎臓が8%しか機能してないということだった。
直ぐに人工透析のシャントの手術をして、透析を行う必要があると医師から伝えられた。
退院の帰り道、父の自宅近くの和食のお店で食事した。
父との最後の食事だった。
2月のとても寒い日だった。父は自宅の前の路上で倒れて亡くなっていた。
食事を買いに行った帰りだった。
潜在意識に繋がる
父が亡くなって半年たつ頃、私は限界だった。
父やネガティブな家庭環境を軸に自分の心に蓋をして奮い立たせて生きてきた。その存在がなくなったから。
自分を取り巻くエネルギーが変わったからだ。
2020年10月ライフコーチングであるトゥリーディングを学ぶ。
セラピストとしてリフレクソロジーで多くの反射療法の施術を行ってきた。改善されていく人、変わらない人、その違いの多くはその人の思い癖であることがわかった。
エネルギーレベルで変わることが、一番早く肉体も整っていく。
同年12月トゥリーディングリーダーを取得。
自分の蓋を外すことは容易ではない。しかし、このままではいられない。
人は約5%の顕在意識と約95%の潜在意識があると言われている。
約95%の潜在意識の1%も満たない部分であるかと思うが、トゥリーディングによって潜在意識の中の子供の頃の自分に会い、涙が止まらなかった。
そして、冬から春に向かい、氷がゆっくりと溶け出していく。
2021年2月クリスタルインテグレーション ライセンス取得。
この世界の物はすべてエネルギーがあることが体感で分かっていた。
3年くらい前から石のエネルギーを感じていた。
太極拳で得られるエネルギーも、チリが積もって山となり、大きく変わった。
太極拳を始めて20年経ったあたりである。
地球のエネルギーが大きく伝わってきた。
そして、空気中のエネルギー、空、宇宙、月、他の星から、
私は、全てが関わっていることを体感した。
ロックガール®パワーストーンヒーリング サイキックリーディングと出会う
運命の出会い、当たり前の流れだったことが今だからわかる。
説明会に参加し、迷うこともなかった。すべてが腑に落ちた。
仕事や家の事もあり、ゆっくりとマイペースに学んでいたが、学び進めていくうちに、
「ちょっと待って、これはすごいことをしてる」と思い、学び始めて4か月後に意識が変わった。
このパワーストーンヒーリングには私が知りたかったことが沢山あり、真実があると確信した。
そして、意識が変わったと同時にまさかと思うことが起きる。
「私がサイキック?」
もう一つの講座、パワーストーンサイキックリーディングがあったが、まったく興味がなかった。
今の生活と、パワーストーンヒーリングの勉強だけでも忙しかった。
それなのに、腑に落ちてしまった。何もかも。
少し迷ったふりをしたが、ほぼ即答であった。(今だからわかる。知性が迷ったふりをしたことを)
7か月間、休みの日は勉強とセッション練習だった。
今までやってたお料理教室は8か月休み、髪も切っていない。
着付けのお稽古も仕事も休んだ。1月、8年働いていた介護職の仕事を辞めた。
もう迷いがない。パワーストーンヒーラー、パワーストーンサイキックリーダーになろう。
私のチャクラは強くなっていた。
そして、今
自分が決めたことに、宇宙は応援してくれる。
信じられないスピード感で思ったことが現実になっていく。そして、不仲だった夫も今は一番の応援者。
今までの状況が嘘のように去年は家族で食事に行った。
全てがポジティブに回りはじめている。
最後に
長いプロフィールを読んで頂きありがとうございました。
幼少期からずっとネガティブな家庭環境にあり、今を生きれない、どこにも属せない、宙に浮いた自分自身がありました。
だからこそ、「この世界の本当のことを知りたい」と心がその一筋の光を欲していたんだと思っています。
私はこのパワーストーンヒーリングとサイキックリーディングを通して、
「宇宙は私たちをパーソナルに応援してくれている」ことを体感して頂きたいと思っています。
そして、それを伝えていくことが私の魂の目的だと思っています。
今までの自分の人生を振り返って、何一つ無駄なことはなかった。すべてが必要な経験だったこと、
点と点が結ばれて線になったことがわかります。
私たちは一人でいても一人ではありません。
地球、宇宙、人々、多くのガイド達はいつも一緒です。
過去から今、今から未来へ私たちは螺旋の中を生きています。
二度と来ない今をどのように生きるか、そして、今が未来に繋がっているのです。
資格・認定・修了
・銀座アロマテラピースクールアロマテラピー講座応用科修了
・JEAJアロマテラピー検定1級
・JEAJ認定アロマアドバイザー
・日本プロフェッショナルセラピスト養成協会 認定資格 足裏整体リフレクソロジー
揉燃ボディケア
抑圧解放ドライヘッドスパ
・トゥリーディングリーダー
・クリスタルインテグレーション®
・The Rock Girl®認定パワーストーンヒーリング
・The Rock Girl®認定パワーストーンサイキックリーディング
・The Rock Girl®パワーストーンエンジェルヒーリング
・The Rock Girl®パワーストーンエンジェルチャネラー
・ABC Cooking Studio クッキングライセンス ABC認定講師
・彩きもの学院 認定講師
・介護初任者研修(ヘルパー2級)
・ガイドヘルパー